デビ夫人とスカルノ大統領のなれそめは?

すると、1959年、19歳の時、
旧帝国ホテルのプルニエ(フランス風の魚介類料理専門のレストラン)
で友達と待ち合わせをしていたところ、

ちょうど日本にきていたホテルにいたインドネシアの大統領である、スカルノ

大統領にめをかけられたんですね。

どんなところにえさがおちているのかわかりませんね。

大統領の側近の人からこういうことを言われたそうなんですね。

大統領と一緒にお茶を飲みませんか?

すごいですね、大統領とそんなに簡単に知り合いとかになれるもんなんですかね。

と案内されてその隣に座らせてもらえたということなんですね。

まさにシンデレラのストーリーとかはこういうことをいうんでしょうかね。


うさぎ

うそみたいな話ね

スカルの大統領と当時20歳のデヴィ夫人。
(大統領官邸ムルデカ宮殿にて)

スカルノ大統領とのこの劇的な出会いによって人生をかえることができたんですね。

デヴィはその時のスカルノについての意見をこういう感じで表現しているんですね。

デヴィ夫人は、その時のスカルノ大統領について、

大きな目はキラキラと輝き、チャーミングな八重歯が印象的。
第一印象で、慈悲深い大きな優しさを感じ、一瞬、
イナズマに打たれた気がしたのは今もハッキリと覚えています。

クラブで働いていたので、
外国の富豪とは対等にお付き合いしてきましたが、
それでもその時の雰囲気は特別!

とても緊張しましたが、
しばらく談笑してその日はお別れいたしました。

お互いが相思相愛だったんではないでしょうか?


うさぎ

なんか素敵な話ね。

デヴィ夫人はスカルノ大統領と文通後、インドネシアへ

スカルノ大統領から写真をおくってという内容の手紙をもらったということです。

それにこたえるように、デヴィ夫人は写真を添えて返信したそうですね。

3ヶ月ものあいだ文通していたそうですね。

そんな時にスカルノ大統領から2週間でいいのでインドネシアに遊びにこれませんんか

とおいう内容の手紙を受け取ったということなんですね。

かくいうデヴィ夫人もいろんな男性から求婚されていたということでしかも、欧米人から

のお金持ちなんかからもそんな話がたくさんあったということなんですね。

 


うさぎ

そんなにトントン拍子にうまくいくの

 

いろいろとデヴィ夫人は自分の人生については迷っていたみたいですね。

なんと一国の大統領と結婚してもいいものかとか思い悩んだということですが

まあ仕方ないことなのかなと思いますね。

 

「インドネシアへ行ったら、何か閃めきがあるかもしれない」

というひらめきがあったからこそデヴィ夫人はインドネシアにいって大統領の妻になることを決めたようですね。

デヴィ夫人の過去が壮絶そのものプロポーズの言葉は?母と弟は?フランス亡命!

 

インドネシア大統領夫人という、デヴィ夫人は、本当に人生をかえることに成功したかのようにおもえるのですが、順風なしあわせな生活を手に入れたように感じますが、それとは正反対に次々と不幸に見舞われることになります。

デヴィ夫人に対するプロポーズの言葉はどんなもの

スカルノ大統領にみそめられた、デヴィ夫人はすぐにインドネシアにいくことを決意されたようですね。

すると、大統領が日本の歴史に詳しかったことや、
お互いの貧しかった幼少時代を語り合ううちに、
お二人は、より親密になったそうで、

首都のジャカルタから飛行機の中でもことなんですが

私のインスピレーションとなり、
力の源泉となって、私の人生の喜びとなってください。

なんとプロポーズされたということですね。

このときに本当にデヴィ夫人はうれしかったのでしょうね。

わたくしはこの偉大な大統領から選ばれたのだ。
これはもう神の天啓なのだ。

そして、この方に選ばれたのだから、
全身全霊をもってこの方に尽くそう。

と、さらなる決意を固め、当初2週間の滞在予定が、
たんなる旅行にような日程がそのままインドネシアに住むことになるなんて夢にも思わないでしょうね。


うさぎ

大統領から気に入られるほどの人なのね

デヴィ夫人の豪華な生活、正式に大統領夫人に

その後、デヴィ夫人は、しばらくは、
大統領の愛人のひとりとして宮殿で過ごされるのですが、

お手伝いさん14人、庭師3人、護衛24人がつけられ、
着替えは立っているだけですべてお手伝いさんがやってくれたうえ、

宮殿にはデヴィ夫人の巨大な肖像画が飾られるなど、
大統領の寵愛を一身に受けられたそうで、

3年後の1959年、デヴィ夫人が22歳の時、
ついに、結婚。

名前も、「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」と改め、
正式に大統領夫人となられています。

(デヴィ夫人は4人の夫人のうちの第3夫人)

スカルノ大統領とデヴィ夫人

デヴィ夫人の母、弟が相次いで他界

しかし、幸せは長くはつづくことはなかったのですね、日本から離れてしまったデヴィ夫人に対して

こんなことを言われたりしました。

日本を捨てた売春婦

といわれてしまい、マスコミなどが家に押し寄せて、そのため体調をこわした母がなくなってしまいます。

しかもその後には、その弟さんが自殺をしてしまうという悲劇まで起こってしまうのです。

なんとガス自殺だったそうですね。

デヴィ夫人は、後に、

母と弟を亡くした事は本当に無念だったし、
弟を自殺からなんとかして救えなかったか、
それは本当に私が一生十字架を背負うくらい苦しんだ事ですね。

と、明かされており、お悔やみされていたんでしょうね、ジャカルタの宮殿のひとつを、

弟さんの名前である八曾男(ヤソオと名付けたそうですね。

(現在、この宮殿は軍事博物館となっていますとなっているそうですね。


うさぎ

シンデレラストーリーかと思いきや悲劇の人だったのね。

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